ビートたけし、「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ【長文抜粋】
2011-03-23


ASAHIネット([URL] )のjouwa/salonからホットコーナー([URL] )に転載したものから。
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 ベさんが、Twitterで流していた。
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さすがにビートたけしはスルどいなぁ。”人の命は、2万分の1でも8万分の1で
もない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってこ
となんだよ” [URL]
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ビートたけし、「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ【長文抜粋】
週刊ポスト「21世紀毒談特別編」より抜粋します。
2011/03/21 14:16

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常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」
じゃないかって思う。
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 こういう想像力を養ってくれるのが文学。別の人生を擬似的に体験できるし、
どう判断すればいいか、どう行動すればいいかも教えてくれるし、感情移入す
る力も養ってくれる。
 カモリーマン向けの新書やビジネス書をいくら読んでもダメ。
 ずっと言い続けていることだが、勝間和代的なデータ処理的読解力は、人間
の力にならない。少々身に付けても、もはやコンピュータにかなわない。人間
が勝てるのは、まだ勝てるのは、文学的読解力。

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 今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけ
ど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをま
ったく理解できないんだよ。
 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1
人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
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 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一
人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分
の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってし
まうのが人間なんだよ。
 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、
それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も
耐えてるんだから。
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 逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかと
いう証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、
国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしない
し、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心から
その重さがわかるんだよ。
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それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。も
う、それしかない。
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 「じたばたしたっちゃ、にわとりゃ、はだし」ですね。

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