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[URL] )のjouwa/salonから。
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2017/07/09の日曜日、小田急トラベル、横須賀の海上自衛隊の基地見学と横須賀軍港クルーズに行ってきた。
去年、申し込みに行ったら、満員だったので、やっと行けた。
天気がよすぎて、暑すぎたが、水分補給島倉千代子で、無問題。\(^O^)/
最初に忘れないように。
添乗員の新井さん、話がおもしろすぎるわ。あれこれ笑った。アンパンマンの話、松岡修造の話も笑ったが、群馬のゆるキャラ、ぐんまちゃんの話は、爆笑島倉千代子。
■横須賀の海上自衛隊
見学した横須賀の海上自衛隊は、田浦地区にある海上自衛隊第2術科学校。
なんで、第2かというか、呉が第1なんだね。
[URL]海上自衛隊第2術科学校
ガスタービンエンジンの実習場所とか、見せてもらった。
エンジンそのものは、思ったり小さいが、吸気と排気のダクトがでかいね。
エンジン、機関室は、戦争ものの映画でも、問題が起きる部署、いや、花形部署というべきか。浸水したり、エンジントラブルになったりと、舞台になることが多い。
スタートレックでも、しょっちゅう、ワープエンジンの調子が悪くなって、ワープコアが爆発しそうだなどと、ドラマにスパイスをぶち込んでくれるもんね。
ガスタービンエンジンは、燃費が悪いから、補給艦がついていてなどという話があったので、
「原子力エンジンは、日本はだめなんですか」
などと、やや危ない質問をしたら、
「アメリカの原子力空母が来ると、デモ隊が出ますからねえ」
という話になって、たしかに原子力アレルギーがなあと思った。
昔、原子力は、夢のエネルギーで、原子力船は、未来だった。
ぼくが小学3年生のころか。原子力船「むつ」が造られることになり、青森県の下北半島、陸奥湾のところ、むつ市が母港になった。
おれが、あの頃、青森名物は?と訊かれて思い出すのは、りんごと「むつ」だもんね。
その後、放射能漏れを起こして、だめになっちゃった。残念。
[URL]むつ_(原子力船)
資料室は、失礼ながら、海上自衛隊(海自)ができてからは、どうでもいい。\(^O^)/
以前から少しは知っていたが、大日本帝国海軍、朝鮮戦争、そして海自になるまでの話が面白かった。
写真や資料をみると、大日本帝国海軍は、けっこう薩摩が多い。大日本帝国陸軍も薩摩が多いと思ったから、明治のころは、軍隊は、薩長支配というより、薩摩支配だな。
展示してある資料の紙も、太平洋戦争末期になっていくと、だんだん紙質が悪くなるのね。戦況の悪さが、そういうところにも、歴史の証拠として残るんだなあ。
海自と陸自(陸上自衛隊)、発足の違いの話も面白かった。
陸自は、旧帝国陸軍の連中を極力排除して、新たに集めたが、海自の多くは、旧帝国海軍からの横滑り。そりゃ、そうだ。軍艦の航行や操船ノウハウを持っている人材が必要だからね。
そして、朝鮮戦争。機雷の掃海任務。公式には、海軍はなくなり、軍人はいないことになっているから、海上保安庁の下部組織として秘密裏に任務遂行。死者が出たが、軍隊、軍人じゃないから、名誉の戦死ではなく、単なる作業中の事故死扱い。それもずっと隠ぺいされていた。悲劇だ。
門司や下関に集結したのね。やっぱり、バックは情報省。\(^O^)/
[URL]
歴史に隠れた集団的自衛権、朝鮮戦争で56名が命を落とした日本特別掃海隊
朝鮮戦争に派遣された海上保安庁掃海隊
[URL]日本特別掃海隊
[URL]
朝鮮戦争時の特別掃海隊 ー 海上自衛隊創設のルーツと先人の功績
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