ASAHIネット(
[URL] )のjouwa/salonからホットコーナー(
[URL] )に転載したものから。
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この前、小倉駅のコンコースにある大画面テレビで、じーも君のテレビ番組
をやっていた。
どうも門司区の広報番組らしい。
じーも君が、お姉さんと一緒に門司のあちこちを紹介する番組。
おれが観た回は、青浜と部埼(へさきの)灯台に行ってたよ。
青浜は、高校の同級生の木村君の家が青浜だった。
おれは青浜のことを知らなかったが、知ってる奴は、門司の秘境などといっ
て、木村君をからかっていた。
実際、木村君は、バスがもうなくなるといって、放課後は早めに帰っていた。
部埼の灯台については、次のページにある説明がとてもいいね。じーも君の
番組でも、おおよそ、そういう話を紹介していた。
[URL]
部埼(へさき)の灯台
海の難所、関門海峡の安全のためには、白州灯台とともに、非常に重要な灯
台だといってたよ。
それと、清虚(せいきょ)というお坊さんの話もやっていた。
この人、偉いんだよ。関門海峡の安全のため、自分は質素な生活をして、燃
料代を捻出して、毎晩、かがり火を焚き続けたんだよ。
その偉業を讃えて、像が建てられている話もあった。
じーも君が感心しながら、お姉さんの話を聞いていたよ。おれも知らないこ
とばかりで、感心しながら聞いていた。
すっかり、じーも君に感情移入して、なりきっとったわ。\(^O^)/
次のは、地図で青浜や部埼灯台の位置がわかりやすい。
[URL]
部埼灯台 門司区大字白野江 [2007/12/29]
あ、ついこの前、顕彰法要があったんだ。
[URL]
顕彰法要:海を守る火照らし続けた僧・清虚しのび−−門司 /福岡
--- ここから ---
175年前、門司区部崎(へさき)海岸で毎夜、かがり火をたいて海の難所
を船に知らせた僧、清虚の顕彰法要がこのほど、同区白野江の清福寺であった。
--- ここまで ---
--- ここから ---
清虚は江戸時代の1836年、高野山に船で向かう途中、部崎沖で多くの船が
遭難することを知り、岬に灯明台を作った。まき代を作るために1日1食の生
活をし、「一食坊主」とあざけられたが、その熱心な姿は村人の心を動かした。
死後は村人がたき火を引き継ぎ、1872年に灯台が完成するまで続けられた
という。
--- ここまで ---
偉い人やね。
お前、少しは見習え!
じゃ、おれは、腎虚を名乗ろう。\(^O^)/
関連:
[URL]
「じーも」の部屋。じーも日記。じーも君、東日本大震災の被災地に行ってたよ。\(^O^)/
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門司のゆるキャラ「じーも」君からメールが来た\(^O^)/
[URL]
門司の出光美術館、仙がい、禅とユーモア
[URL]
門司港、小倉など北九州ネタと筑豊、飯塚ネタ。
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