西アフリカのモシ族の太鼓言葉。言語と音楽。サブリミナル・インパクト
2009-06-05


ASAHIネット([URL]のtti/salon(筒井康隆会議室)からホットコーナー([URL] )に転載したものから。
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 先日のNHK。「爆笑問題のニッポンの教養」は、文化人類学の巨人・川田順
造先生のところで、西アフリカのモシ族の太鼓言葉の話題。
 最初、トーキングドラムの話かと思ったら、もっと深い話だった。
 モシ族は文字を持たない。文明社会からみると、一見、遅れた世界にみえる
が、調べていくと、太鼓を叩いてコミュニケーションするという太鼓言葉を持
っていて、指先で微妙に太鼓の皮をミュートしたりして、文字によるコミュニ
ケーションより微妙なニュアンスさえ伝え得るそうです。
 つまり、文字を持つことで得たものも大きいが、文字を持つことで失ったも
のもまた大きいことを教えてくれる世界だそうです。
 面白かったのは、川田先生がモシ族の王朝年代記の研究に行ったときのこと。
 王朝年代記をやるというので、録音機材を持って行った。まず、太鼓を叩き
始めた。これはイントロであって、そのうち、王朝年代記の朗唱が始まるだろ
うと思って、テープを節約するために録音せずにいたら、30分くらい太鼓を
叩いて、もう終わっちゃった。あれ?と思って、訊くと、いま太鼓で延々やっ
たのが、王朝年代記だったと。
 太鼓で王朝年代記をしゃべっていたんです。\(^O^)/
 もう、筒井康隆「バブリング創世記」ですわ。
 楽器でセリフをしゃべって忠臣蔵をやる山下洋輔「ジャズ忠臣蔵」も真っ青
ですね。
 実在するんですね、こういう民族と太鼓言葉。ほんとに王朝年代記を太鼓で
延々しゃべるんですね。しかも、モシ族の遺産として実在し、代々伝えられて
きているんですね。
 あれ? でも、太鼓言葉の話、筒井さんか山下さんのエッセイか対談か何か
で読んだ気もしてきたぞ。
 まあ、いい、先に進もう。

 太鼓言葉は、言語と音楽の中間的な存在なんですね。
 爆笑問題の太田光も、いいこと言ってました。
 他人を励ますつもりで「がんばれ」と言っても、「もう、精一杯がんばって
いるのに、いまさら言うな」という否定的な受け取られ方をすることもあって、
言葉じゃ、応援したい感情が伝わらないこともある。そういうときに、「フレ
ー、フレー」と、言葉というより叫びに近い表現で、感情の伝えようとするけ
ど、あれも、言語と音楽の中間的な存在なんじゃないかと。
 それで、思い出したのが、今年の前半で読んだノンフィクションでは、一番、
インパクトがあった本、
[URL]
サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書) (新書)
下條 信輔 (著)
に書いてあったこと。
 言語と音楽は、人類の歴史の中で、社会のコミュニケーション手段として、
共進化してきたのではないかという説。
 言葉は論理に訴えるのに便利なものだが、音楽は情動(感情)に訴えるのに便
利なもので、互いに影響し合って発達してきたのではないかと。
 ぼくが去年からよく書いている言い方をすれば、言葉は脳的(大脳的)なもの
だが、音楽は身体的(小脳的)なもの。どっちが欠けても人間としてまともじゃ
ない。
 サブリミナル・インパクトの前半では、印象的なエピソードがあった。
 紅白歌合戦だったかな。審査員になったある作家が、どうして、小説だと原
稿用紙何百枚も使わないと伝えられない感動を、音楽はたった数分で伝えられ
るのかと感嘆する話が出てきます。
 それは音楽が情動に訴えるからだろうと。
 ここからさらに、現代社会は、情動操作が広範囲に行なわれていると。
 たとえば、脳神経科学・認知神経科学の成果を応用し、大衆の情動に訴え、

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