ASAHIネット(
[URL]のjouwa/salonからホットコーナー(
[URL] )に転載したものから。
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2008/07/30の夕方、福岡に着いた。翌日から岸田さんの講義のお手伝いで九
大に行くため。
夜、九大の荒木先生たちと会うことになっていた。
出かける前に、ホテルでメールをチェックした。
荒木先生から、後輩の平原が昨日亡くなったというメールが入っていた。
知力、体力、情熱をあのでかい体に満載した平原が?
そのまま座り込んで動けなかった。しばらくメールの返事もできなかった。
2008/07/29の夕方、ジョギングに行って倒れてそのままだったらしい。
享年48歳。
その夜は、平原を偲んで痛飲した。
平原は、日本のインターネットの基盤を作った一人。特にJPNIC(の前身JNIC)
は、平原が作ったとおれは思っている。
大学を出てしばらく事情に疎かったおれが、平原の名前をみたのが、JPNIC
のwhoisサービス関係のドキュメントだった。お、平原だと思った。後で知る
が、平原の大変な貢献があってJPNICの基礎ができた。
日本のみならず、アメリカのミシガン大学に行って、MERITネットワークで
も活躍していた。
ミシガンから福岡に戻り、ISIT(九州先端科学技術研究所、以前の九州シス
テム情報技術研究所)にいたときに、博多で飲んだのが平原と会った最後だっ
た。
さらにISITからCRL(通信情報研究機構、以前の通信総合研究所)に移って、
国分寺に住んでいると聞いた時、国分寺は府中の隣だから、いつでも会えると
思っていた。
父が亡くなったころからか。
ずっと長い長い悪夢を見ている気がしている。
菊池文村(きくちあやむら)さんもそう、五十嵐(いからし)さんもそう。おれ
より若い人が突然亡くなっていく。今年は弓手さんがそう。
たまさんはおれより年上だが、五十嵐さんがもう一度会いたい会いたいと言
っていて、とうとう会えずじまいだったので、たまさんとそうなっては心残り
が大きすぎるので、たまさん合宿と称して会いに北海道に行った。
たまさんはぼちぼち元気そうだったし、FAT'Nさんのもてなしもあり、大変
に楽しかった。やっと悪夢から覚めたと思った。
そしたら、平原だ。
この数日、痴呆状態だ。
日が経つにつれ、気分が重たくなってくる。
府中に帰ってきて、国分寺が近いせいでなおさらそう感じる。
すぐそこに平原がいたのに、もはや会えなくなってしまった。
「いつでも会えるは、もう会えない」
またしても、この言葉がおれを打ちのめす。
自分より若くて、才能も情熱も体力も知力も実績も人類社会への貢献度もは
るかに高い人が、突然、この世から、いなくなる。やり切れない。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
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JNIC設立者 平原正樹氏のご逝去について
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追伸:
もともと8月は母の初盆の行事をやったり、仕事も佳境に入ってくるなど、
ドタバタになる予定で、ウェブやブログの更新が滞ることが予想されていたが、
平原のことで、ますます更新する気がなくなったので、jouwa/salonのほうに
は書くかもしれないけど、表には出すのが面倒になって、たまにしか更新しな
いかもしれません。暑いしね。あしからず。
とか言いながら、タイミング的に出さないといけない話があれば、それは表
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