筒井康隆「モナドの領域」:「大法廷」の章をやっと読了
2015-10-19


ASAHIネット([URL] )のtti/salon(筒井康隆)からホットコーナー([URL] )に転載したものから。
tti/salon(筒井康隆会議室)にアップロードしたのは、2015/10/18日です。
文中の昨夜は、2015/10/17です。
---
 昨夜の「筒井康隆 自作を語る #2」の前に書きたかったけれど、時間がなか
った。

 先に、昨夜のイベント、LUNAさん、北海道新聞のコピーありがとうございま
した。
 イベント後の飲み会。久々にみなさんにお会いできて、お話しできて実に楽
しかった。早く先を読むようにします。
 ぼくは、ネタバレになってもいいんですけど、みなさん、気を遣って思うよ
うに話ができなかったのではないかと。すみません。
 文豪miniさん。えーっと、ワープロの文豪なんでしたっけ?とか、すみません。

 これも先に。イベント後の飲み会で、大法廷の章で、引っかかったこと。
 新潮2015年10月号、62ページ、上段、最後から5行目。
憑依した人物が遍在している神の視点に
は、
憑依された人物が遍在している神の視点に
のほうが、意味の通りがいいのではないかというのが、第一感。

 なぜ、GODは、法廷に行くようなことをしたのか。
推測1
 自説、世界の成り立ち、宇宙の成り立ちを、国の公式な記録に遺しておきた
かった?
推測2
 作者としては、哲学論争、神学論争など難しい話を展開するのに、法廷のや
り取りなら、長い説明的な科白も不自然ではないので、法廷を選んだ。

 という推測は、はずれていたことが、飲み会でわかりました。
 ぼくは楽屋の外にいたので、聴けませんでしたが、どなただったか、中で聴
いていた人から、教わりました。
 笑犬楼さまが、作品の種明かしをいくつかされて、法廷に行く話は、
リチャード・アッテンボロー監督の映画「34丁目の奇跡」
がベースになっているとのこと。

[URL]丁目の奇跡_(1994年の映画)
をみると、クリスマス、サンタクロースにまつわる話で、これもキリスト教の
世界だし、サンタクロースの実在性を争う裁判になるんですね。

 「公園」の章でのモブシーン(群衆シーン)もそうでしたが、「大法廷」の章
も、科白の間にある描写が、短くとも的確、かつ、きめ細かい。さすがの練達
の技。
 映画でいうと、細部まで演出が行き届いている。役者にうまく演技させてい
る。
 映画の演出について、思い出したことは、最後に。

 法廷でのやり取りは、精神病の世界。出たあ。筒井康隆の得意技。\(^O^)/
 評論家、平岡正明さんが、筒井康隆はこう読め!シリーズのどれかで、戦後
日本文学の三大王国、山田風太郎の「奇形の王国」、団鬼六の「変態の王国」、
そして筒井康隆の「ビョーキの王国」などと言っていた得意分野の世界。
 世界認識や宇宙論、哲学の話だから、読んでいると、脳味噌麻婆豆腐になっ
て、頭、割れるわ。
 哲学者や思想家を、アリストテレス君などと君づけで呼ぶのが、さすがGOD
で、これは、ちょっと笑うを誘うので、難しい話が続く中、一息つけます。こ
ういう読者への気遣いも、エンターテインメントとして、よく考えられていま
すね。

 キーワードの1つ、佯狂(ようきょう)という言葉。この言葉は、「公園」の
章で、出てきたが、こんな難しい言葉は知らないので、当時、辞書を調べまし
た。狂ったふりをしているということなんですね。

[URL]佯狂
三省堂 大辞林
よう きょう やうきやう [0] 【佯▼狂・陽狂】
〔「佯」 「陽」とも,いつわる意〕
狂人や愚者のふりをすること。また,その人。


続きを読む


コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット