経済学におけるゲーム理論の扱い
2006-03-02


ASAHIネット([URL]のjouwa/salonからホットコーナー([URL] )に転載したものから。
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 まず最初に、
「府中の図書館から借りて昔読んだ鈴木光男先生の本を、また借りてきていま
す。それとその改訂版にあたるものを買ってきました」
と書いたのは、勘違いでした。

[URL]
鈴木光男著「ゲーム理論の世界」(勁草書房)
と、
[URL]
鈴木光男著「新ゲーム理論」(勁草書房)
を混同していました。\(^O^)/ すみません。
 しかもですね。昔読んだ「ゲーム理論の世界」を図書館からまた借りてきた
のに、買ってきたのも「ゲーム理論の世界」だった。大バカ。\(^O^)/
 でも、この本で正解は正解でした。
 僭越ながら、鈴木光男先生へのご祝儀にもなるし。^^;

 時間がないので、詳しくは述べませんが、序章とあとがきを読むだけでも、
日本の経済学においてゲーム理論がどういう扱いを受けてきたか、あれこれ想
像できます。鈴木先生の深い感慨が、簡潔で静謐な文章に込められていると思
いました。
 全部、読むと、ゲーム理論の歴史や、ゲーム理論を作ったフォン・ノイマン
やモルゲンシュテルンがどういう時代背景に生きていたか(簡単にいえば、ナ
チスのユダヤ人狩りの世界)など、いろいろとわかります。
 鈴木先生は戦後まもなく留学してモルゲンシュテルンに学んだ人ですから、
当時のアメリカの状況もよくわかります。当時の科学的な知は、ドイツとその
周辺にいたユダヤ人たちが築いた感があります。
 この本は、ゲーム理論の解説書としては異色で、理論解説よりも背景やら人
物像の記述が多くて、文系の人にも読みやすいんじゃないかな。

 あとがきは、ほんとしみじみとしています。特に、東北の田舎に育った自分
みたいな人間にはゲーム理論なんて向いてないと思っていたけれど、
「私には、土地を耕して種を蒔き、毎日水をやって少しずつ育てて、何年か後
にその結果がわかるような地味な仕事が向いていたのではないかと(略)」
「私は、長い間、日本という土地でゲーム理論という生き物に毎日水をやって
枯らさないようにしてきたに過ぎませんが、幸いそれが成長して、多くの人材
が多方面で活躍するようになりました」
は、人生を蓄積を感じさせる深い言葉。それに
「多くの批判に恵まれたからこそ、現在の私があり得たのだと感謝しておりま
す」
は、実際に批判を糧にして成果を出してきたからこそ、言える言葉。無理解な
批判が多かったことは想像に難くない。
 おれ、これ読んで、高校の世界史の時間に木村先生が、
「太平洋戦争で前線に行った部隊の中では、九州の部隊がすぐ玉砕したがって
どんどん戦死した。その点、東北の部隊は我慢強く粘って、玉砕せずに生きて
帰ってくることが多かった。だから、君らも戦争に行ったときは、東北人の我
慢強さを思い出せ」
などという話をしてくださったのを覚えています。
 九州人は血の気が多くて辛抱が足らないし、捕虜になるくらいなら自決せよ
というのが日本軍の教えだから、戦場のストレスに耐えられなくなると、すぐ
に「もういい。みんな勇ましく散ろうじゃないか。突撃!」といって玉砕した
がるんだそうです。その点、東北人は、厳しいの冬の中で、春の訪れをずっと
待つ生活をしてきているから、辛抱強いんじゃないかと。そういう話でした。

 まあ、おれはもう戦争に行きそうにないけど、いまの20歳以下の人は、行き
そうだな。
 ほんとかよ。
 ほんと、ほんと。北京オリンピックが終わったら、日本は、中国+北朝鮮+

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